Domaine Meo Cazuzet
11 Rue des Grands Crus,
11 Rue des Grands Crus,
21700 Vosne-Romanée, France
Phone: +33 3 80 61 55 55
Phone: +33 3 80 61 55 55
Le Guide des Meilleurs Vins de France2022 ★☆☆
ル・ギド・デ・メイユール・ヴァン・ド・フランス2022 1ツ星
Le Nouveau bettane&desseauve2022 ★★★★☆
ル・ヌーヴォー・ベタンヌ&ドゥソーヴ2022 4ツ星
Vineyards
所有畑
Richebourg 0.34ha
リシュブール
Clos de Vougeot Grand Cru 3.03ha
クロ・ド・ヴージョ グラン・クリュ
Echezeaux Grand Cru 0.44ha
エシェゾー グラン・クリュ
Corton Clos Rognet Grand Cru 0.45ha
コルトン クロ・ロニョ グラン・クリュ
Corton Perrieres Grand Cru 0.68ha
コルトン ペリエール グラン・クリュ
Corton La Vigne au Saint Grand Cru 0.19ha
コルトン ラ・ヴィーニュ・オー・サン グラン・クリュ
Vosne Romanee 1er Cru Les Brulees 0.72ha
ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ レ・ブリュレ
Vosne Romanee 1er Cru Cros Parantoux 0.30ha
ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ クロ・パラントゥー
Vosne Romanee 1er Cru Les Chaumes 2.02ha
ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ レ・ショーム
Nuits St Georges 1er Cru Aux Boudots 1.05ha
ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ オー・ブド
Nuits St Georges 1er Cru Aux Murgers 0.73ha
ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ オー・ミュルジュ
Nuits St Georges Bas de Combe 0.58ha
ニュイ・サン・ジョルジュ バ・ド・コンブ
Vosne-Romanee 1.38ha
ヴォーヌ・ロマネ
アンリ・ジャイエの薫陶を今に受け継ぐヴォーヌ・ロマネの名門ドメーヌ
メオ・カミュゼの歴史は、栽培農家であると同時に、コート・ドール県選出の代議士であったエティエンヌ・カミュゼに始まる。
因みにクロ・ド・ヴージョ城はコンフレリー・デ・シュヴァリエ・デュ・タスヴァンに譲られるまで、カミュゼ家の所有であった。
メオ・カミュゼのクロ・ド・ヴージョの畑が、城の周囲と真下という、もっとも素晴らしい位置を占めているのはそうした理由からだ。
エティエンヌ・カミュゼの娘、マリア・ノワロには跡継ぎがなく、1959年、近親のジャン・メオにドメーヌを託して亡くなった。ジャン・メオは当時、ド・ゴール政権の閣僚という要職にあり、直接、ドメーヌの管理をするわけにはいかない。
畑は折半耕作の形で小作人に任せ、出来上がったワインは樽のままネゴシアンに売られていた。
この時の小作人でドメーヌのワインを手がけていたのが、2006年に没したブルゴーニュの神様、アンリ・ジャイエだ。
1980年代半ば、折半耕作の契約が切れると同時に、小作人たちも引退の時を迎えてメオ家の元にブドウ畑を返還。1985年から本格的にドメーヌ元詰めが始まった。
やがてパリにいたままでのドメーヌ経営が難しくなり、ブルゴーニュに赴くことになったのがジャンの息子、ジャン・ニコラ・メオである。
1964年生まれ。商業学校でマーケティングを学び、銀行で研修を受けた、生粋のパリジャン。1989年、24歳にしてドメーヌを託された。
表向き引退を宣言したアンリ・ジャイエも、ドメーヌのコンサルタントとして若きジャン・ニコラの指導にあたったという。
リシュブール、クロ・ド・ヴージョ、エシェゾー、3つのコルトン(従来からあるクロ・ロニェに、2010年ヴィンテージからペリエールとヴィーニュ・オー・サンが加わった)といった特級畑。戦争直後にアンリ・ジャイエが開墾したヴォーヌ・ロマネ1級クロ・パラントゥー。宝石のようなクリマの数々を、このドメーヌは有している。
ブドウ畑は大部分がビオロジック農法により栽培。醸造法はジャイエ譲りで、完全除梗のうえ15度の低温マセレーション。樽熟成における新樽率は、村名で50%、1級畑が60〜65%、特級が100%である。
またジャン・ニコラは「メオ・カミュゼ・フレール・エ・スール」の名前でネゴシアンビジネスも行っている。
マルサネ、フィサン、ジュヴレ・シャンベルタン、モレ・サン・ドニ、シャンボール・ミュジニー、ニュイ・サン・ジョルジュなど、ドメーヌもののヴォーヌ・ロマネを補う形でコート・ド・ニュイのアペラシオンを余すことなく網羅。
これらの中には短期賃貸契約によりメオ・カミュゼのスタッフが畑の管理から収穫まで、ドメーヌの畑と同様に仕事をしているクリマも少なくない。
また、ブドウやマストを買い付ける場合でも、夏季剪定や収穫時の選果を行い、品質の安定を図っている。
ドメーヌもののワインがその希少価値から入手困難であり、価格の壁も高いことから、比較的手頃な値段でメオ・カミュゼの哲学が楽しめるネゴスものの存在は、ワイン愛好家はもちろん、レストランにとってもありがたい存在といえるだろう。
~インポーター資料より~
所有畑
Richebourg 0.34ha
リシュブール
Clos de Vougeot Grand Cru 3.03ha
クロ・ド・ヴージョ グラン・クリュ
Echezeaux Grand Cru 0.44ha
エシェゾー グラン・クリュ
Corton Clos Rognet Grand Cru 0.45ha
コルトン クロ・ロニョ グラン・クリュ
Corton Perrieres Grand Cru 0.68ha
コルトン ペリエール グラン・クリュ
Corton La Vigne au Saint Grand Cru 0.19ha
コルトン ラ・ヴィーニュ・オー・サン グラン・クリュ
Vosne Romanee 1er Cru Les Brulees 0.72ha
ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ レ・ブリュレ
Vosne Romanee 1er Cru Cros Parantoux 0.30ha
ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ クロ・パラントゥー
Vosne Romanee 1er Cru Les Chaumes 2.02ha
ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ レ・ショーム
Nuits St Georges 1er Cru Aux Boudots 1.05ha
ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ オー・ブド
Nuits St Georges 1er Cru Aux Murgers 0.73ha
ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ オー・ミュルジュ
Nuits St Georges Bas de Combe 0.58ha
ニュイ・サン・ジョルジュ バ・ド・コンブ
Vosne-Romanee 1.38ha
ヴォーヌ・ロマネ
アンリ・ジャイエの薫陶を今に受け継ぐヴォーヌ・ロマネの名門ドメーヌ
メオ・カミュゼの歴史は、栽培農家であると同時に、コート・ドール県選出の代議士であったエティエンヌ・カミュゼに始まる。
因みにクロ・ド・ヴージョ城はコンフレリー・デ・シュヴァリエ・デュ・タスヴァンに譲られるまで、カミュゼ家の所有であった。
メオ・カミュゼのクロ・ド・ヴージョの畑が、城の周囲と真下という、もっとも素晴らしい位置を占めているのはそうした理由からだ。
エティエンヌ・カミュゼの娘、マリア・ノワロには跡継ぎがなく、1959年、近親のジャン・メオにドメーヌを託して亡くなった。ジャン・メオは当時、ド・ゴール政権の閣僚という要職にあり、直接、ドメーヌの管理をするわけにはいかない。
畑は折半耕作の形で小作人に任せ、出来上がったワインは樽のままネゴシアンに売られていた。
この時の小作人でドメーヌのワインを手がけていたのが、2006年に没したブルゴーニュの神様、アンリ・ジャイエだ。
1980年代半ば、折半耕作の契約が切れると同時に、小作人たちも引退の時を迎えてメオ家の元にブドウ畑を返還。1985年から本格的にドメーヌ元詰めが始まった。
やがてパリにいたままでのドメーヌ経営が難しくなり、ブルゴーニュに赴くことになったのがジャンの息子、ジャン・ニコラ・メオである。
1964年生まれ。商業学校でマーケティングを学び、銀行で研修を受けた、生粋のパリジャン。1989年、24歳にしてドメーヌを託された。
表向き引退を宣言したアンリ・ジャイエも、ドメーヌのコンサルタントとして若きジャン・ニコラの指導にあたったという。
リシュブール、クロ・ド・ヴージョ、エシェゾー、3つのコルトン(従来からあるクロ・ロニェに、2010年ヴィンテージからペリエールとヴィーニュ・オー・サンが加わった)といった特級畑。戦争直後にアンリ・ジャイエが開墾したヴォーヌ・ロマネ1級クロ・パラントゥー。宝石のようなクリマの数々を、このドメーヌは有している。
ブドウ畑は大部分がビオロジック農法により栽培。醸造法はジャイエ譲りで、完全除梗のうえ15度の低温マセレーション。樽熟成における新樽率は、村名で50%、1級畑が60〜65%、特級が100%である。
またジャン・ニコラは「メオ・カミュゼ・フレール・エ・スール」の名前でネゴシアンビジネスも行っている。
マルサネ、フィサン、ジュヴレ・シャンベルタン、モレ・サン・ドニ、シャンボール・ミュジニー、ニュイ・サン・ジョルジュなど、ドメーヌもののヴォーヌ・ロマネを補う形でコート・ド・ニュイのアペラシオンを余すことなく網羅。
これらの中には短期賃貸契約によりメオ・カミュゼのスタッフが畑の管理から収穫まで、ドメーヌの畑と同様に仕事をしているクリマも少なくない。
また、ブドウやマストを買い付ける場合でも、夏季剪定や収穫時の選果を行い、品質の安定を図っている。
ドメーヌもののワインがその希少価値から入手困難であり、価格の壁も高いことから、比較的手頃な値段でメオ・カミュゼの哲学が楽しめるネゴスものの存在は、ワイン愛好家はもちろん、レストランにとってもありがたい存在といえるだろう。
~インポーター資料より~